作品の绍介

2015年「おなかすいたねの歌」篇 鈴木敏夫さんスペシャルインタビュー

第3弾颁惭「おなかすいたねの歌」篇制作にあたって感じたことや、エピソードについて详しく闻いてみました。

※2015年颁惭公开当时のインタビューを掲载しております。

蚕1.颁惭第3弾の感想を教えてください。

もう3本目なんですね。びっくりです。第1弾の时に、笔のアニメーションに挑戦して、出来上がった时に僕らは満足だったんだけど。こういうものが颁惭としてどのくらいインパクトがあるのか、それについては僕らあんまりよくわからなかった。そんなに颁惭ってちゃんとやったことなかったし。そしたら瞬く间にね、评判が良いっていうことになってしまって。音楽も、ふと思いついたのが矢野顕子さん。これは、直感でした。で、当时、彼女がヤマハで颁顿を出していたので、问い合わせると、担当者から「ちょうど新しい颁顿を発売する。その中から使いませんか」と言われ、选んだのがあの曲(ただいまの歌/やもり)でした。まるで、この企画に合わせて作ったような曲だった。だから、幸运としか言いようが无かった。あとで矢野さんに闻いたら、なんと、彼女は大の猫好き。こういうこともあるんですねえ。その后は、ニューヨークに住む矢野さんに直接メールを出して、作ってもらっています。にしても、第1弾の放映が终わって、一段落。これでこの仕事も终わりかなと思ってたら……また続きが出てきたんですよねえ(笑)。で、第2弾、そして第3弾。まさかこんなことになるとは(笑)……ということなんです(笑)

蚕2.キャラクターの长生きの秘诀は何かありますか?

今までの僕の経験だと、宫さん(宫﨑骏监督)がやる时にも、僕がやる时にも肩に力を入れて気张ってやったモノは絶対うまくいかない(笑)。肩の力抜いてね、リラックスして……なんかいたずら描きのつもりで描いたモノが必ずうまくいくんですよ。何回描いてもうまくいかない场合は、みんなに爱されるキャラクターにならない。

(インタビュアー:人気出るように描こうとか思っちゃダメなんですね。)…

落书きですねえ。上手くいくのは。良いキャラクターって、ふとしたきっかけで生まれます。力を込めて顽张ったときは本当上手くいかない(笑)

漫画の単行本の表纸を作家に依頼する场合も、「顽张って书いてください!」って頼んで上手くいった例がない。ところが、中表纸って言うのが各话ごとにあるでしょう?「これは毎回の表纸だから」っていってみんないい加减に描くんですよね。肩の力が抜けてるんですよ。そうすると良い絵ができる。だから僕ある时からね、単行本の表纸、それから雑誌の表纸、自分で作家に頼むときに、表纸だってこと言わないようにした。「なんか1枚絵描いてくれないですかね」って。なんか描いてくれって言うとみんな面倒くさいでしょ?そうすると大概その场でラフを描くんですよ。そうすると大概良いのがあがる。肩に力入れて、思いを込めて顽张ったもので良いものはまずできない。これ秘诀ですね。

(インタビュアー:一所悬命考えてつぎ込んだものが全て余计なものになるっていうことでしょうか。)

たぶん。「千と千寻の神隠し」のとき、こういうことがあったんですよ。その诞生秘话なんですけど。高畑勲监督の「となりの山田くん」は、ジブリの中でも制作が苦境に陥った1位2位を争う作品なんですが、そのため僕は忙しくて大変だったんです。その忙しいさなかに宫さんが次回作の打ち合わせをやろうという。しかし、ぼくは、それどころじゃない。気が付いたら宫さんのことを1年间ほったらかしにしてしまった。その间、彼が、1年间、1人でこつこつとボードを书き溜めていた。で、「山田くん」が终わったあと、本当に申し訳なかったと思って彼のアトリエを访ねると、壁一面に新しい作品のボードが100枚くらいかな、贴ってあったんです。で、いきなり、企画の内容の话を热を込めて喋り始めたんですよ。で、闻きながら、ぼくも疲れで呆然としていたのかもしれません。反応が钝かったんでしょうねえ。すると、宫さんが「铃木さん面白くないの?」と怖い颜で詰问してきた。本人としては1年间かけてやってきたわけでしょ。そりゃ头に来ますよね。で僕が「そういうわけでは……」って言い訳しようとしたけどもう手遅れ。その刹那、宫さんが、立ち上がって壁に贴ってあった絵を1枚1枚はがし始めたんです。その间、ものの5分ですかね。で、100枚全部集めて僕の目の前でごみ箱に捨てたんですよ。バーンって。ごみ箱へ捨てた瞬间、「千と千寻」のアイデアを语り出した。つまり5分で考えたんですよ。集中力が涌いたんでしょうねえ。

その一部が、今、美术馆(叁鹰の森ジブリ美术馆)に展示してあります。その幻の企画が。何が言いたいかっていうと、意図的にみんなに爱されるものを生み出そうと思ってもそうは问屋が卸さない。なんか気が抜けたときにふっとやるとか、一瞬である力が集中するとか、そういうときに诞生するんじゃないですかねえ……

颁惭「おなかすいたねの歌」篇より

(インタビュアー:2012年、当时震灾の后っていうこともあったんでしょうか?)

そういうこと考えてたら上手くいくわけないと思います。つまり、みんながニュースをみたり、新闻を読んだり、そんなふうに考えていてもダメですよね。今、宫﨑骏が面白いことをやっているんです。ひとつ、新闻を読まない。ふたつ、テレビは见ない。情报は会社への行き帰りのラジオだけ。あとは世间のことで彼が知るのは僕からの情报。そうすると僕がいろんなこと教えると怒るんですよ。何にもない状态にしたいんですよね。そこからみえてくるものがあるわけで。

(インタビュアー:世间の情报に左右されないものっていうことですか?)

彼、长编は引退したけど美术馆で短いものは作ってみたいっていうんで、今企画準备中なんですけど。だから世间の情报は遮断してるんですよ。さあどうなるかですよね。

(インタビュアー:コニャラの意味は何なのかとかではなく、「普通の日常」というところが一番根底にあるし、それが最も大切なんだってことが「気楽に书いたものが受け入れられる」っていうことと繋がるんですかね。)

僕もそう思いますけどね。生きていくっていうのは日々日常の积み重ねだから。日々日常、いったいどういうことが起きるのか。寝転がって、何が起きているのかを见ている人がやっぱり大事ですよね。

蚕3.第3弾のストーリーを考えられたのは?

近藤胜也くん(构成?作画担当)が考えてくれました。胜也くんは、この仕事は娘さんのためにやっています。アニメーションで娘とコミュニケーションしているというのか。今回もいろんな意见があるでしょうね、たぶん。家族みんなで仲良くっていうのが、最后、コニャラだけが取り残される。それはどうなんだって、たぶんそういう人もいるでしょうね。だけど僕は、家族ってそういうものだと思う。…

(インタビュアー:何気ない日常ですよね。)…

お腹がすくっていうのはそういうことだから。今回、手前味噌ですけれど、あれ胜也くんが作ったんですけど、「おなかすいたね。」っていうコピーは本当にいい呼びかけの言叶になったと思いますね。あの言叶が胜也くんから出てきて、僕余计なことする必要ないって思ったんですよ。…

(インタビュアー:日常的に闻かれる言叶ですからね。「ママ、おなかすいたよー。まだー?」とか。)…

平和だろうが戦争の时だろうが本当はお腹すいたっていうのはずっとあることでしょう。だから、この7年8年の中で世の中変わって騒がしくなってるけれど、コニャラの一家は変わってない、っていうことなんじゃないですかね。

蚕4.难しい笔アニメーションに挑戦されて3作目になりますが、その中で変化はありましたか?

わかりません(笑)。それは、见た人が判断してくれれば。

僕、最近难しいなと思うのは、言叶ですね。自分の思ってることを言叶にすると、表现できるのは10分の1ぐらいになってしまう。全てを伝えることはできない。そうすると表情だったり、ちょっとした挙措动作、ほんとはそっちですよね。ほんとはそれに+α言叶でしょ。そういうのが重ならないと、ほんとはコミュニケーションっていうのはできないんだなって、そういう気はしてるんですけどね。だから颁惭も、たしかに诉えてることがあるのかもしれないけど、その间にどういうものを见せてくれるのか、ってことじゃないかな。

たとえば宫沢贤治って人がいてね。この人が『春と修罗』かな。“私という现象は”って言ってるんですね。僕は学生のときにその一文を见た时ちょっとびっくりしたんですよ。なんで“现象”なんだろうって。普通“私という存在”ですよね。それを“私という现象”って言ったのはどういう意味なんだろうって。たぶん「现在进行形」ってことなんですよ、人间が生きてるってことは。いつも动いてる。世界は动いてますから。それは自分も含めてね。だから止めることはできない。

僕はこのコニャラで一番愿うのは、近藤胜也くんが命を吹き込むっていうか、动くことによって実在してると思ってもらえることですよね。コニャラってほんとにいるんだっていう。それができるかどうか。第3弾をやって、そういうのをみなさんが思ってくれたら成功じゃないですかね。で、そういう机会を提供してくれたのが日清製粉グループさんなんですよ。

蚕5.视聴者からいただく颁惭の感想を拝见していると、何かを売ろうとしてるのではなく、猫がただ癒される动きをしている、今の时代にあまりない颁惭ということで好感を持たれているという意见があります。

はっとするわけでしょう?たぶん。猫に教えられるっていうか。结果としては夏目漱石の『吾辈は猫である』ですよね。でもね、こういうのはこねくり回して头でいくら考えたって普通は作れないですよね。

蚕6.3作目の楽曲をまたお愿いしたいと依頼した时に何か矢野さんから闻かれたことなどありますか?

ありません(笑)。もう3回目なので『実はコニャラ第3弾をやります。また、歌を作ってください。』ってメール出したんです。そしたら、2时间か3时间后『できた!』って返事が来た(笑)。だけど、肝心の音が无い。彼女が添付を忘れたのかと思って僕は返事を返した。『音がない。出来た曲を闻かせてくださいよ。』って。そしたら。『头の中で出来ただけ。』って(笑)。『だからあとはそれを形にするから待ってよ。』っていう返事がきました(笑)

(インタビュアー:その『できた!』が『やる』っていう返事だったんですね。)

そう、彼女は自由な人だから。感心しますよ。矢野さんから色々教えてもらいました。

(インタビュアー:初めて出来た曲を闻いた时はどう思われたんですか?)

この人やっぱり猫好きなんだなーって。

(インタビュアー:もうその时は絵があったんですよね?)

大きな流れだけこちらで考えて、それを彼女に送るんです。彼女が曲を作ってくれたら、それに合わせて絵を描く。そういうやり方してるんですよ。絵を作っておいてそれに合わせてとなると、そこに缚られちゃって良くないから、大きな流れはこうですよっていうのだけ伝えておく。そうすると彼女が自由奔放に作ってくれますから。

(インタビュアー:逆にそれに合わせてコニャラが动いていくんですか。)

そうです。だからある种、韵を踏むっていうのかな、そういうところは歌に合わせてある。

(インタビュアー:ちょっとトントンって动いたりするところとか。絵とリンクしてくるわけですね。)

そうです。たぶん音楽家の方ってみんなそういうところあるんじゃないですかねえ。久石譲さんもね、「ポニョ」の时、一応歌词を作ったからと、久石さんに歌词を见せたんですよ。そしたら「ポーニョポーニョ?」ってメロディあるじゃないですか。(歌词を)见た瞬间に出ましたよね。「ポーニョポーニョポニョ?ですよね?」って。それで僕なんか「おっそれでじゃあ是非。」って言って(笑)

蚕7.第3弾颁惭で一番気に入られているシーンはどこですか?

食っちゃうところですかね(笑)

(インタビュアー:鱼を持っていっちゃうところですか?いたずらな感じで。)

そうそうそう。そういう方が楽しいですよねえ。僕と宫さんの関係なんてだいたいそうですよ(笑)。だいたい僕が持って行っちゃうんですけどね(笑)

特别取り上げてここがいいとかすごいとかって、そういう考えじゃなくて全体で考えちゃうんですよね。だからまあ、僕が一番うれしかったのは、コニャラが健在で、そしてどんどん育っていく。っていうところ。だからこれ、もっとシリーズものにしていったら面白い。3本続けてみるとその成长ぶりがなんかわかるんですよね。

(インタビュアー:コニャラはどんどん贯禄がついてきた感じがありますね。ちょっとぽっちゃりしつつ、家族も増えて。)

だけど、注意しなくちゃいけないのは、かわいくなっちゃったらおしまい。かわいくなったらみんなばれちゃうから。(最初の姿から)どんどん离れてかわいくなっていった时がこのキャラクターが死んじゃう日ですよ。爱想良くなったら终わりだもん、こいつ。私をかわいがってって言うのはね、もうそういう时代じゃないし。それよりもすっくと立ってたほうが、そっちに魅力を感じる时代なんじゃないですかね。そういう意味ではさっきの言い方が正しくて、堂々としてきたのかもしれない。肝っ玉母さんですよねえ(笑)

颁惭「おなかすいたねの歌」篇より